信頼できる医者と出会えない。これは、残念ながら本当に良く聞く話しです。自分のは棚に上げてお話しを進めます。
果たして、信頼できる医者とはどういった医者を指すものでしょうか。まず大前提は、医療知識と技術がしっかりしていることが大切です。そして次に、親身になって話しを聞いてくれ、治療のために様々な協力をしてくれることです。
その判断をするためには、日本では医療機関の宣伝や広告は法律で禁止されていますからアメリカなどとは違って難しいのも事実です。アメリカだと、私はこれこれの手術を何千例やって、失敗は何件だと言うことが出来ますし、そういったシステムも存在します。ただし、そういった腕の良い医者にかかるには、いい保険に加入する必要があり、その為にもいい会社に入っておくか、高い保険料を自分で払う必要があるのです。
高い金額が医者の方にも支払われるわけですから、医者も余裕を持って一人の患者さんと向かい合う事が出来ます。また、失敗すれば、多額の賠償金を払う事になります。ですから、医者の方も必死です。当然収入のうちの半分以上が賠償保険の掛け金となります。よって更に医療費は上がります。
裏を返せば、極端な場合ですが、アメリカの病院は救急で運ばれても、保険が入ってなかったり、クレジットカードの残高が無ければ、門前払いされることすらあります。
日本の場合、国民皆保険ですから、どういう状況でもみな同じとなります。さらに医療は利益を追求してはならないと言う法律もあり、資本主義社会とは打って変わったシステムとなっています。
どんな人でも一律な治療が可能であり、よくドラマにあるような、「金に糸目を付けないから何とかしてくれ」というようなことは、現実には有り得ません。
どっちがいいかというと、これが難しい問題ですね。むしろ、それは医者側からの意見ではなく、医療を受ける患者さん側からの総意を統一させる必要があるわけです。つまり、人の命に差があるかと言う大問題を論じなければならないのです。
ちなみに、ヨーロッパでの腎臓病などでも日本のような透析はしないそうです。したとしても一時的なもので、すべてが移植までの時間稼ぎで、それも確か65歳までということだそうです。では、65歳を越えたらどうなるかと言うと、僕の欧米人の友人はこう言いました。「神に召されるんです。」と・・・。
良いも悪いもこういった宗教観と医療が密接になっており、ある種判断基準が出来上がっているわけです。一方、日本では、こういった考え方が到底受け入れられるとは思いません。昨今話題になった脳死移植ですら、一体何例が行われた事でしょうか。
話しを元に戻します。
まずあなたがどういう医者の理想像をもっているか、それが大切になりますあなたが、非常に欧米的に医者に科学性と結果のみを求めるのであれば、信頼できる医者に出会う確率は実は高いと言えます。
大病院の医者の多くは、そういった難しい症例に出会う機会も多く、それだけトレーニングされています。しかも、複数で診る事が多く、大概は間違った方向にはいかないものです。だたし、そこにいる研修医や若い医者は当然経験も少なく、そういった医者のトレーニングの場所である以上、経験の少ない医者にあたる可能性は少なくありません。
また、彼らの給料は安く、仕事量は膨大に設定されていますので、患者さん主体に物事を考えたり、サービス精神旺盛にはなかなかなれません。また、大病院指向の弊害で、彼らに十分な時間がないというのも、患者さんの話を聞くと言う点では無理があります。
一方、所謂町医者は少なくとも自分と言う看板で勝負しており、その評判はかなり信頼が置けるものでしょう。大病院の看板に頼った殿様商売は出来ないからです。ですから、話しも良く聞いてくれるはずですし、的確なアドバイスもあるはずです。
また、彼らもかつては大病院にいたわけですから、ある種の経験は積んでいます。 また、紹介するのが遅れることは、自分の生活にとって致命的ですから、学閥に寄らず、良い医者のところへ送るのが一般的となってきています。ですから、自分の手におえないと思った患者さんは、自分の信頼の置ける医者を紹介するはずです。
よって街の医院では、あなたの求める人間的な医師、赤髭のような医者に出会う可能性が高くなります。
ところが、個人ベースの診療は、おのずと機械や技術に限界があります。収入は自分の働きによって、増えてくるのですが、実はアメリカと違って、自分の持っていた医療技術を捨ててしまうことで収入が増えると言うジレンマに悩まされているのです。
極論すれば、開業や個人病院で血圧を測っていた方が、大病院で手術をしているよりもずっと収入と生活が安定するのです。
これは、日本のすべての仕事に言えるのですが、今までは生活給、つまり、子供が出来たからとか、学校へ行き出したとかいったことを目安に、年功序列的に収入が増えていきました。ところが、グローバリゼーションによって、いまや能力給になりつつあります。
若いころでも能力に応じて収入が増えると言うやつです。言いかえると、歳を取ったり、病気をすれば何の保障もなくなると言うものです。
しかるに医療の世界ではまだまだ生活給なのです。
よって、技術的にも能力的にも優秀な人は自分のそういった物を捨てて、安定した生活を得ざるをえません。若いころ、素晴らしい先生が、二人目の子供が学校へ行くからと言う理由で大学を辞めるのを、なんて卑怯なと思っていた僕ですが、いざ自分がそういった年齢にってみると、それも仕方がないことと思ってしまいます。技術を捨てると、お金になるってなことは少し矛盾し過ぎています。
結論を急ぐと、病気によって病院と医者を使い分けるのが今のベストといえるでしょう。特に、いつも色んなことを気楽に相談できる医者を見つけておくことが大切です。
その時のポイントとしては、40歳前後の先生で、自分で開業かもしくは個人病院でやっている人、これを窓口にする事が一番です。
次に、患者さんの評判が良い先生を見つけること。
日本ではまだまだ口コミが一番の評価基準ですから、評判の良い先生が良いでしょう。さらに、患者離れの良い医者を見つけるということ、専門的な知識や治療が必要な病気はどんどん大病院へ送ってくれる先生が良い医者と言うことになります。
あるいは、若造に言われたくないと言う方は、後輩の面倒見がよさそうな年配の先生(実は私学出身者に多いようです。)を見つけましょう。
そう言った先生は何かあれば、日頃面倒をみている後輩に相談しますし、あなたの言うことも歳相応の応対で対処して下さるはずです。
そして、一番肝心なことは、医者だからと言う考えは止めて、あなたが培った経験で人としてその医者を見て下さい。そうすれば、おのずとあなたにぴったりあった医者に出会うはずです。
くどくど長くなりましたが、ご健闘をお祈りいたします。
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