怖くなるですか・・・。
僕なんかは女性がヒステリーを起こすとその場をとっとと逃げ出したくなります。怖いからです。冗談はさて置き、そもそも、人間というのは記憶をつむいで生きていくものです。
怒り、不安、喜び、悲しみなど、色んな感情は実は過去の体験によって裏打ちされているものなのです。
記憶というのは、海馬(かいば)というところを通って、大脳や小脳のいろんなところに貯えられます。記憶というものを図書館にたとえると、海馬は司書さんにあたり、大脳は実際に本が並ぶ書庫に当たります。
普通の記憶は海馬で順序よく整理され、書庫の方へと送られます。
[記憶する]
また、必要なときは書庫から海馬を通って引き出されます。
[思い出す、判断する]
ところが、感情を伴う記憶、危険を伴った緊急的な記憶は、そんな悠長なことはいってられません。そこで、扁桃核というところを通って特別に記憶の出し入れが行われます。
たとえば、蛇を見て驚くといったたぐいの記憶がそれに当たります。
こういった記憶は鮮明に記憶され、思い出すのも瞬間的に書庫から引き出されます。
というのも、もし蛇を見て、
「成るほどこういう形のものは・・・、蛇だ。では、逃げよう。」
という風になると、間に合わずにがぶりとやられる可能性がありますよね。そこで、扁桃核を通じて緊急的に記憶の出し入れが行われると、「あ、変な形。逃げよう。」となって、噛まれずに済むのです。
ところが、この扁桃核というのは緊急的に出し入れをするために、ちょいちょい勘違いをしてしまいます。おっちょこちょいなわけです。
「うわっ。蛇だ。」と思って、逃げてから、「なーんだ。縄が落ちているだけか。」ということが良く見られるのです。
しかし、噛まれるよりはましなので、扁桃核の機能は大事なのです。
ここで蛇に係わらず、色んな感情を伴った記憶は、あやふやだということを覚えておいて下さい。
ある日、あなたはある場所である人に出会います。
その時、あなたは初対面のその人に対して、懐かしさにも似た愛情を覚えます。これこそ扁桃核のなせる業なのです。
なんとなく似た雰囲気で、どこかある人に面影が似たところがあるために、かつて自分の好きだった人に重ねあわせてみてしまうのです。それで、初対面にもかかわらず、意気投合してしまうのです。
反対になぜだか分からないけど、苦手だったり嫌いだったりすることもありますよね。
これも同じ理屈で、その人の後ろにかつての苦手な人をオーバーラップして見てしまうのです。おっちょこちょいの扁桃核が似たところを捜し出してしまっているわけです。訳もなく不安になったり、夜になって不安だったり、学校で怖くなったりするのは、そういった過去の体験が無意識の中からよみがえってきている可能性があります。
小さい時になにか、多分、今となっては笑い話になってしまうような、でも、当時の本人としてはとても怖かった体験をしている可能性があります。
たとえば、夜ひとりでトイレに行かなければならず、そのためいまだに同じような状況で怖くなってしまっているのかもしれません。
あるいは、多くの子供にとって両親の愛し合う姿はショッキングで、偶然見てしまった自分を罰する傾向すら出てきます。大きくなっても、その状況がにおうような場面で、たとえば電気が消えたりすると、その当時の感情が出てきてしまうわけです。あなたの不安や怖さがどこから来るのかは分かりません
ただ、解決策としては、自分自身はそういったしくみで怖くなってしまっている。そして、怖がっていた小さな子供の時と今の自分とは違っているということを、しっかりいい聞かせることです。特にそういった過去を探る必要はないと思います。
時期になれば自然と記憶の片隅から出てくるはずですから。そんなことよりも、今の自分は十分に成長してきているということ、自分自身はかけがえのない存在だということをしっかりといい聞かせて下さい。嘘も同じです。
嘘は言わない方がいいですね。
でも、その程度の嘘ならば誰も傷つきませんよね。だったら、必要以上に自分を罰する必要はありません。たぶん、嘘にまつわる何かのエピソードが過去にあるのかもしれません。
いずれにせよ、今の自分はしっかりと成長して、充分に価値のある存在だということを、もう一度確認して下さい。
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