少々気恥ずかしいのですが、「愛」についてお話したいと思います。
気恥ずかしいと書きました。それほど現代は「愛」という言葉が、ストレートに、あるいは素直に使えなくなっている時代のようです。
「愛」の質が低下したのか、「愛」という言葉が手垢にまみれてしまったのか定かではありません。
しかし、医療に携わる人間として、この「愛」(自分に対する愛も含めて)の不足のために、病気になったり、また、病気を積極的に治そうとしなかったりするケースを私は数多く見てきました。病気ばかりではありません。愛は人間を生かしもするし、殺しもするのです。
「愛」は「時間」であるともいえます。どんな聖人でも、いかなる極悪非道な悪者でも、1日は24時間です。通常、この24時間は生活を支えるさまざまな仕事をこなすだけで、いっぱいになってしまうものです。
しかし、その中で、どれだけ時間を他人にさくことができるか。そしてまた自分にどれだけ与えることができるか。それが、他人に対する、また自分に対する愛の本質であると私は考えています。
たとえ会話がなくても、30分いっしょに食事をするだけで「愛」は伝わります。もちろん会話をしたり、いっしょに何かをすれば「愛」はもっと伝わります。「そんなこと言ったって忙しくて(愛情を注ぐ)時間がない」という人がいます。
忙しいとは、「心」を「亡くす」と書きます。心を亡くした人間に、愛を語る資格はないかも知れません。いくら忙しくても、心を亡くしてしまっては元も子もありません。
時間は自ら作りだすものでもあります。このようにかけがえのない貴重な時間を、惜しみなく与えるのが、やはり愛なのだと思うのです。この愛は、人を勇気づけ、あなた自身を成長させていくもの。いかなる治療、いかなる薬にもまさるものなのです。
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