がんという病気はとてもデリケートな問題です。まったくの他人で情報も持たない僕がとやかく言うとかえって余計な混乱を招くことにもなりかねません。
ですから、ここではあくまでも一般論としてお話しすることをお許しください。
まず、セカンドオピニオンですが、これはたとえその医師との間に信頼関係があったとしても、聞いておくべきでしょう。というのも、やはり癌という病気は、手ごわい病気です。多くの方はそのために命をなくします。とすれば、後々に後悔を残さないためにも、セカンドオピニオンを聞いておくほうがいいでしょう。
逆にそういう行為自体がその担当医に対する礼儀でもあると思います。いかに、自分の主治医が万全を尽くしたとしても、まったく歯が立たないときも往々にしてある病気です。ご家族や、あるいは御本人は、治らないという事実だけでその医療自体に不信感を抱きます。
よほど、日ごろからの付き合いがあれば別ですが、これは当たり前のことなのです。
死に到る病を前にしたとき当人、家族にまず「拒絶」が起こります。治療自体が正当でなかった、あるいは、がんということ自体が誤診であったなど。さまざまな拒絶が起こります。別の病院であったら、別の医師であったら・・・・健康食品はどうか、気功はどうかなどなど患者さんは転々としてしまいます。(このあたりはエリザベス・キューブラー・ロスの「死の瞬間」読売新聞社に詳しく乗っています。死を扱った始めての精神科医の書いた本です。バイブルにも近い書物です。どうかご一読ください)
この時期をいかに短くするかが大切です。
治ったとしても、治らなかったとしても、人生は有限ですから、そんな状況にいることは無駄なのです。
ですから、悩んでいないで是非セカンドオピニオンを求めてください。
主治医に対してその申し出の仕方はあなた御自身の性格にもよります。もし、言いづらいなら、「知り合いの医師に相談したいから」とか「親戚の・・・」といった言い方をすればいいと思います。はっきりと言えるならば、「セカンドオピニオンを聞きたいので」とおっしゃればいいでしょう。
一般にカルテの貸し出しは不可能です。開示を求めたとしても、見せてもらえるだけです。カルテを院外に持ち出すことは、確か法律的にはややこしかったと思います。
むしろ、検査の写真や紹介状を担当医に書いてもらうのが近道です。(普通は気軽に書いてくれるはずです。なぜなら、そういった患者さんやご家族はあなたが初めてではないからです)
ある程度の情報があれば、専門医であれば、診断・治療法にさほどの違いがありません。あまり、この点で皆さんが思ってるほどやぶ医者は多くないような気がします。
このことが大切です。
くどいですが、がんに関しては、治療法・結果に施設においてのさほどの差がないということをもう一度受け止めてください。
昨今はインターネットでの情報が氾濫しています。そのために、過度の期待や誤解が生じています。これに惑わされるのは得策ではありません。私の友人も、その情報に一喜一憂させられてしまいました。残念ながら、いまだに僕の話を聞いてくれません。
病気になるまでは彼はそういった人間ではありませんでした。
がんという宣告は、繁華街の裏道ででナイフを突きつけられるようなものではありません。どんな人も味わったことのない恐怖が襲うのです。患者さんご自身はもとより、周囲の方々もその恐怖で判断が鈍ってしまいます。
そこから脱出するには、プロの力を借りるべきです。
もし、それでもとおっしゃるのなら国立がんセンターのホームページにアクセスしてみてください。一般的な治療法、予後が正確に乗っています。
民間療法も試されるのはいいと思います。ただし、さまざまな副作用が潜んでいるということは忘れないでください。そして、決して現代医学からは外れないで下さい。
がんの患者さんのほとんどが主治医に隠す隠さないは別として、民間療法も試されています。効果があるのかもしれません。しかし、ここで重要なのは多くの民間療法は責任を取ってくれないということです。うまくいったらその効果で、うまくいかなかったら抗がん剤を含めた現代医学のせいということになってしまいます。
実際、僕は20数年間で3人のがんからの生還者を見ています。3人とも末期がんですでに打つすべもない状況でした。しかし、かれらはいまだに生存しています。多分、そこには何か大きな秘密が隠されているのでしょうが、まだわからない謎です。
ただし、その性格には共通点があります。何事にも前向きで、すべてに感謝するという傾向があります。多分免疫系が賦活されるのではと思っております。そういえば、がんからの生還者たちみたいな特集でも、そういった方たちが多いように思います。
同業者をかばうつもりはありません。と、同時に同業者を攻撃するつもりもありません。問題はそんなことではないと思います。
患者さんがどの施設で、どういった治療を受けるか。そしてそのことによる結果をどう自分自身の責任でうけとめるか。ということが問題なのです。あくまでも、主体は患者さんたちの意思なのです。どうしたいのかというインテンションが大切なのです。
実はあなたのご家族の病気に対する治療は間違っていないのかもしれません。そして、同時にあなたの中に主治医に対して不信感と怒りがあるようです。とすれば、ここに矛盾がありますよね。
つまり、その医師が嫌なわけですから・・・・次の医師を探すのもひとつの方法ですよね。あるいは、ご自身のお気持ちを直接その医師に出すのもひとつの方法です。
いま、医療だけでなく、経済、政治すべてが自己責任の時代に入っているのです。
そういった意味では、がんを専門とする多くの医師は冷たいかもしれません。がんに関する告知や治療はあくまでもアメリカをお手本にしているからです。あくまでも、合理的かつ冷静です。ところが、そこには絶対的なキリスト教的な根源があるのです。日本人にはなじまないシステムです。
宗教観や哲学を持つということは、現代に生きる我々にもっとも苦手なことです。そこのところのずれが、今回の問題のような気もします。
話がずれますが、ヨーロッパでは65歳までの腎不全の患者さんは移植までの間、透析を受けるそうです。長期にわたる透析はしないそうです。では、65歳を越えたり、ドナーが見つからなかったら・・・・神に召されるそうです。みんな納得しているそうです。
ひょっとすると短いかもしれない残された時間をどういう医療であるいはどういう医者と過ごすかというのは大切なことです。しかし、そうは言っても、そのことの占める割合は、大して大きな割合ではないのです。
有限な人生をどう過ごすか。これは、医者が決める話ではありません。皆さんが決めなければならないのです。
見ず知らずの僕に心うちをお話くださってありがとうございます。
僕のお話できることはこれぐらいです。
大切なことは、ご家族の気持ちもそうですが、それよりも何よりも、患者さんご自身がどうしたいかということです。よくご相談してください。
おのずと道は決まってくると思います。
繰り返しますが、ご本人がどうしたいかということです。 |