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下町で診る
最終回 ありがとう

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松島さん(仮名)は32歳の会社員、昇進とともに「うつ」となり、クリニックへやってきた。うつむき加減の松島さんに、椅子をすすめた。

「すみません」松島さんは浅く椅子に腰かけた。「どうしました」「仕事が手につかなくて…」

「いつごろからですか」「この秋ごろからです。いくら頑張っても任せられた仕事が思うように進まなくて」松島さんは大きくため息をついた。

「何かほかに体の具合が悪いようなことはありませんか?たとえば、眠れないとか」僕の問いかけに「すみません。言い忘れました。実は、眠ってもすぐに目が覚めてしまうんです」「ほう、それはつらいですねえ」

しばし診察の後、僕は簡単な抗不安薬と睡眠剤を出した。1週間後の再診察もお勧めした。「すみませんでした」松島さんは深々と頭を下げて出て行った。

1週間後、松島さんは約束通り再診にやってきた。具合を尋ねると、少しは良くなっている、という。「ただ、あまり薬に頼るのも良くないと思いまして…。実は薬はまだ残っているんです。すみません」

ふと、僕はあることに気がついた。松島さんがしきりに「すみません」いう言葉を使うのだ。よくよく振り返ってみると、「ごめんなさい」と「ありがとうございます」をごっちゃにして使っているとしか思えない…。僕はそのことを伝えた。

松島さんは目を丸くした。「そうか、今まで気がつきませんでした。おっしゃるように、自分は曖昧に使っていました。というか、『ごめんなさい』でもなく、『ありがとううございます』でもなく済ませていました。実は『すみません』というたびに、何かに押し潰されそうな感覚があったんです」「すみませんと言うたびに、自分を相手より下に置いてしまうからね。対等ではなくね。それって無意識だから余計にきついよね。もちろん日本語としては正しいのだけれど、今の松島さんにとっては良くない言葉かもね」

「ありがとうございます。ああ、この言葉、これってすごく楽な気がします。薬を勝手にやめてごめんなさい。うん、ピタッときます」

松島さんを見送りながら、看護師のみっちゃんがつぶやいた。「そういえばうちの元気な患者さんたちって、みんな、『ありがとう』と『ごめんなさい』が言えますよね」「案外、病気ってのはそんなものかもね」下町が元気な師走を迎えた。

※引用 アイユ12月号 2009年(平成21年)12月15日発行 (C) 財団法人 人権教育啓発推進センター

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