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このエッセイは『ばんぶう』(日本医療企画)に掲載されたものです。
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  映画に見る宗教観の違い(2002)
 

2001年を振り返ると、ほとんどの人が大変な思いをしたという年だったであろう。

常識を覆す凶悪犯罪や痛みを伴う構造改革、第三次世界大戦かと思う同時多発テロ。21世紀の始まりがこんな風だとは誰が想像しただろう。

テクノロジーにおいては映画「2001年宇宙の旅」に描かれていた世界はかなり実現したと言える。場合によってはそれ以上の部分も見受けられる。

しかるに、現実の世界は、二千年前からの戦いがいまだに終結を見ていない。

これらの出来事は我々に物事の理解の仕方のある一面を教えてくれた。

宗教、宗教観。

かつての日本には存在したが、現代の日本では、ひとたびそういった言葉を口に出した途端、白い目で見られかねない言葉である。

我々は、宗教観から物事を理解する事を忘れてしまったようだ。宗教という言葉に抵抗があるとすれば、哲学と言ってもいいかもしれない。いずれにせよ、我々日本人は、宗教観の違いが多くの物事の裏側に存在している事を忘れてしまった。

かつて大ヒットした「マトリックス」をキリストの物語として見た時に、何故欧米人の間でかくも熱狂的に受け入れられたのかが良く理解できよう。

さらに2001年の大ヒットに「ハリーポッター」があげられる。魔法使いの子供であったハリーの冒険物語である。

実はこういったキリスト教的宗教観には落とし穴がある。すべてのこの手の物語は、正義と悪との戦いとなっている。

もとより、一神教である民族は、正邪善悪がはっきりと分かれたものであるという考えの下に行動する。ハリーもマトリックスの主人公も、絶対悪との戦いに終始する。

一方、もう一つの大ヒット「千と千尋の神隠し」は八百万の神様がやってくる湯屋の物語である。八百万も神様がいるわけであるから、正邪善悪といった分け方はもとより無理である。その間になんとなく灰色の部分が存在するというのが東洋的である。

これは、狭い島国の中で集団生活する我々にとって必要不可欠な要素であった。もし、一神教的な考えを持ったとすると、恐らく今日のような繁栄はおろか、1億もの国民が住む事は出来なかったろう。

そう言えば、かつては面と向かって隣の住民を糾弾したり、ヒステリックに叫びたてる国会議員など存在しなかった。

多神教は「許しの精神」をごくごく当たり前の事実として兼ね備えている。絶対正義、絶対悪など存在せず、その瞬間において善か悪かということで、永続性がないことを分かっているからだ。

一方、一神教的にはどうしても絶対悪の存在を作りあげる必然性がある。その為、ことさら「汝の敵を愛せ」といった無条件の愛を謳いあげねばならない。

言い換えれば、一神教はデジタルな多神教はアナログな思考法とも言えるかもしれない。

現代社会の矛盾や不条理は実はこういったデジタルな思考法の結果かもしれない。テロや戦争などに対していかなる努力も無力なのはその為だ。

聖徳太子の広めた仏教的アナログ思考が鍵となると言うのは僕の初夢に過ぎないのだろうか。

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