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このエッセイは『ばんぶう』(日本医療企画)に掲載されたものです。
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  反省だけならサルでもできる(2002)
 

メディア規制法案なるものが議論されている。マスコミは、政府により報道・言論が規制される危険性を説き、メディアの自浄作用を強調する。

個人的にはいかなる規制も好まない。ましてや、言論の自由を脅かす法律などあって良い訳はない。

しかし、そのキャンペーンをするキャスター諸氏の顔を見て、はてなと思った。

はたして、メディアに自浄作用は存在するのか。

私自身や私の身の回りの人々に起こった悪意に満ちた誤報(というよりも売らんがための創作)やスキャンダラスな記事を鑑みるにつけこう思う。

メディアに自浄作用などない。いや、自浄作用という言葉自体に温度差があるということかもしれない。

10年前も20年前も30年前も、同じ事を言っていた。そして、同じような人を傷付ける為だけの記事が蔓延している。

そういった愚劣な記事が好んで読まれ、放送される。野次馬根性に満ちたものが視聴率を得ている。

世の中には、家族と敵と使用人しかいないとのたまわった政治家が人気を博し、マスコミは愚かにも迎合してしまう。昨日までもてはやしていたと思うと、今日は徹底して悪人扱いする。もはやメディアに真実を判断し、伝える能力は無いのかもしれない。

自分を含めて、ほとんどの日本人の眼は節穴になってしまったのだ。

正邪善悪がはっきりと分かれるというのは、一神教の考えである。9月11日に起こったテロ後のアメリカの行動に対して、違和感を覚えたのは多神教の国民だけであろう。果たして、そんなにはっきりと善悪が分かれるものだろうか。口には出さずとも、意外とこう思った人も多いはずだ。

本来、一神教は砂漠の民の間で生まれた。生きていくだけで苦しく辛い環境、そんな民には、強くて厳しい唯一無二の神の存在が不可欠であった。

一方、多神教は森の宗教といわれる。豊かな自然の中では、たった一つの神よりもすべてのものに神が宿ると感じる方が自然だ。当然、正邪善悪の境界は曖昧模糊としたものになる。

一神教はかつての歴史において、おびただしい数の犠牲者を産み出した。いや、本来多神教であるはずの我が国ですら、一神教を利用して戦争を起こした。

神はいつの時代にも悪意の下に利用され続ける。自分達の神に反するものが悪だという理屈は、多くのヒトという動物の中にある利己的観念に呼応するのかもしれない。

グローバリゼーションは良くも悪しくも、一神教の理念を含んでいる。

メディアというものも多かれ少なかれこの影響を受けている。はたして、我々の世界はかつての砂漠のように生きていくこと自体が大変な状況なのだろうか。

そろそろ正義の反対に位置するものが邪悪であるというステレオタイプの判断基準を見直す時期かもしれない。現実には境界など存在しないのだ。曖昧模糊としたものが本質なのだ。

報道にも政治にも経済にも絶対的な正義などなく、むしろ、邪悪な要素を含んでいる事を我々は知らねばならない。

自らの中に灰色の部分の存在を知る事で、我々森の民は生きていけるのだ。

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