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このエッセイは『ばんぶう』(日本医療企画)に掲載されたものです。
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  自分に甘く(1996)
 

1996年正月は箱根駅伝の劇的なリタイアで始った。優勝候補の最右翼、山梨学園大学のエースランナーのまさかのリタイア、本人はもとよりリタイアを決定した監督の心境やいかばかりか。マスコミのこぞって飛びつきそうな話題だ。

駅伝は日本独自の長距離走で一本のたすきに十数人の選手の思いを込めて走り続けるスポーツ云々と解説者は述べる。その中で起こったアクシデント、まるで走れメロスの世界だ。見ていて、「もう少しだから頑張れ。」「どうせ勝負は決まったんだからもうやめればいいのに。」「いやいや、走り切る事に意義が有るのだからもうちょっと。」「これが個人競技だったらやめられるけど、団体競技だからやめられない。」などなど色々な思いが吹出してきた。どうやら私も典型的な日本人らしい。

折角、正月早々に色々考えるチャンスを与えて貰った気がしたので少し整理してみよう。

まず、これは他人事ではないという点が大切だ。つまり、単にスポーツ中継を見るというより、駅伝中継を通じて人はすべからく自分の人生や社会生活をオーバーラップして考えているわけだ。(故に実に日本的なのだろうが)ある時は失敗したランナーに、あるときは監督に、ある時はたすきを待つ次のランナーに自分をなぞらえる。そしてその心理状態をバーチャルリアリティーではんすうする。

たとえば、ランナー以外の人であった場合、これは以外と簡単である。単純にサポートをしてあげれば良い。寛容と受容という使い古された態度によって、傷ついた心を癒してあげれば良い。つまり、成功した貴方が大切で失敗した貴方は大切ではないという条件づけの愛情を捨て、貴方自身はその存在そのものだけで既に十分大切であって、その結果はどうでもよいという態度をとれば良い。言い換えれば、大切な貴方が単にひとつの失敗をしただけ、ただそれだけの事という態度をとり、つかず放れずの距離で接すればよい。

しかし、ランナーになると大変だ。というのも、我々の文化に於ては、自分の誤りや失敗を意識する事によって、気持ちよくなるということはないからだ。誤りや失敗を意識する事によって我々は苦しんでしまう。そのため、極端な場合、我々は失敗や誤りそのものを否定してしまう傾向すらある。うすっぺらなひとたちは、失敗は成功の母なのだから、くよくよせずに次で頑張れという。確かに理屈はそうだが、いわれたほうは心の底からは納得は出来ない。あるいは、しばらくはその考えを受入れられる事が出来るかもしれないが、やがて、また、その失敗全体を自分の責任として背負い込み、自分を罰し始めてしまう。

なぜか。

どうやら、我々は、自分に対するよりは、赤の他人に対するほうがよっぽど親切で、寛大であるようだ。ひとさまには気を使うが、自分に対しては気を使わない。一番大切な自分に気を使えない人が、どうして人に気を使えるのか。矛盾。

自分にも甘く。今年のテーマだ。

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