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このエッセイは『ばんぶう』(日本医療企画)に掲載されたものです。
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  善玉と悪玉(1997)
 

総会屋への利益享授で証券会社、銀行のトップが多く逮捕された。マスコミは連日、証券会社、銀行の批判を続ける。

そのなかで特異な意見を聞いた。ある著名なマンガ家の意見だ。

「逮捕された人たちは皆サラリーマンなんですよ。総会屋に逆らって、フィルム会社の専務が殺された事件を覚えていないんですか。事件が起こるまでは警察も何もしてくれないんですよ。命はだれだって惜しい。彼らのやった事は褒められる事ではないけれど、誰も一方的には彼らの事を責められないはずです」

一利ある意見だ。確かに彼らのやった事は微妙に彼ら自身の出世や利益に結びついている。だからといって彼らだけを非難していいものか。強迫した方はたいして責められずに、強迫された方が責められる。結局、マスコミも総会屋という暴力が恐いに違いない。とはいうものの、マスコミと大きく枠で括れば確かに暴力に屈しない力をもっている。然るに書いたり、喋ったりしているのは個人である。新聞も記事の責任を明確にする為、記者の名前をのせるようになってきた。やっぱり、暴力は恐い。気持ちは良く判る。

先日、ワイドショーなるものにでてみた。神戸の小学生殺人事件のコメントをした。御遺族の気持ちを考えると無責任な事は言う気にはなれなかった。特にお父さんはぼくと同世代のお医者さん、きっと、たどれば、誰かの友達ということになる。コメントをする大学教授、知識人の話を聞いていて思った。犯人像の分析をして何になるんだろう。ぼくのここでいうべき事はただひとつと思った。

「この番組はきっと犯人も見ているでしょう。御遺族の方のお気持ちを考えるとやり切れませんが、敢て言います。あなた(犯人)が傷ついている事は良く判りました。あなたの傷を癒すためには、罪は罪としても、もうゲームは終りにして出て来るしかないですよ。傷を癒しなさい」

翌日、司会者の意見にそぐわないとの由でコメンテーター降番とあいなった。あくまでも勧善懲悪を貫きたいとのこと。本音は一般視聴者の反感を買いたくない、余計な事で視聴率を落とすのが恐いらしい。

勝新太郎さんが亡くなったというニュースが入ってきた。座頭市が死んだ。悪代官をたたき切った座頭市、酒、女におぼれ、それまでの時代劇のヒーローとは一線を画していた。座頭市は貧しい大衆の味方であった、というより大衆そのものであったと言った方が良いだろう。大衆そのものであり、そして、居合抜きの達人。結構、悪玉的要素は持っており、自分が完全なる善玉とは思っていない。それゆえ、相対的悪の代官を相対的善の座頭市が切るという構図が成立する。

多くの一般的なマスコミは自分たちを絶対的善と勘違いしてしまうらしい、あたかも暴力や視聴率には屈していないという錯覚の元に。暴力も恐いし、視聴率も恐い。そして、時にその恐さを忘れて相対的悪に立ち向かう勇気があるということ。認めてしまえば、きっといろんな事が変ってくるように思うのだが

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